
京都市東山区にある、浄土宗総本山「知恩院」。今回は境内でも少し奥まった場所にある、国指定名勝「方丈庭園」を中心に紹介します。
なお、写真はすべて昨年(2022年)に撮影したものです。

「方丈庭園」の入口は、「集会(しゅうえ)堂」の横から続く「大方丈」の入口辺りから庭に出たところにあります。
靴を履いたまま、直接方丈庭園の入口に向かうことはできません。

「方丈庭園」へと向かうには、まずこちらの「御影(みえい)堂」で靴を脱いで濡れ縁にあがります。脱いだ靴は準備されている袋に入れて、自分で持ち運ぶ流れです。

御影堂に向かって右側に進むと、集会堂、大方丈、小方丈へと続く渡り廊下が見えてきました。
この御影堂から続く「鴬張りの廊下」は、全長550メートルの長さがあるそうです。歩くと鶯の鳴き声に似た音がでて、静かに歩こうとするほど音がでるため、「忍び返し」とも呼ばれているのだとか。

突きあたりが「集会堂」、向かって右手に「大方丈」の入口があり、ここで拝観料を納めます(「友禅苑」との共通券がある場合は提示)。
「大方丈」内部は、入口の近くを少しだけ拝観することができました。こちらには「知恩院の七不思議」の展示ブースがあり、「抜け雀」「三方正面真向の猫」「大杓子」「『鶯張りの廊下』構造模型」を見ることができます。写真撮影は禁止です。

「方丈庭園」の入口は、「大方丈」から靴を履いて外に出た場所にありました。

拝観順路としては、大方丈、小方丈を外から眺め、さらに「心字池」「二十五菩薩の庭」の美しい景色を堪能しながら「権現堂」へと向かいます。

大方丈、小方丈の前には、それぞれ説明書きが置かれていました。
大方丈は寛永18年(1641年)に建立された建物で、京都随一の名書院として知られているとか。中には美しい襖絵や障壁画があるそうで、上段之間は将軍が大名に謁見する時に使われていたそうです。

大方丈と同じく、小方丈も寛永18年(1641年)に建立されています。将軍上洛の際の宿泊所となっていた場所で、こちらにも貴重な襖絵や障壁画があるそうです。
掛軸にある「華頂山」とは、知恩院の背後にある東山三十六峰のひとつで、知恩院の山号も「華頂山」となっています。ちなみに、華頂山の山頂付近にあたるのが「将軍塚青龍殿」なのだとか。

大方丈、小方丈の前に広がる「方丈庭園」は、江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧 玉淵によって作庭されたと伝えられる池泉庭園です。


方丈の前に広がる「心字池」です。
建物や木々に囲まれているせいか、水面は穏やかに凪ぎ、木々が映りこんでいました。見事に紅葉した葉が散りばめられ、ゆらゆらとただよう様子は「これぞ日本の秋」という雰囲気です。

方丈庭園内には、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧であり、「愚管抄」の作者でもある、慈鎮和尚の座禅石と伝えられている「慈鎮石」があります。

さらに足を進めると、「三代将軍家光公 御手植の松(三代目)」も枝を広げていました。
知恩院は、徳川家康が永代菩提所として定めたほか、1633年に火災でほぼ全焼した折にも、徳川家光のもとで再建が進められたそうで、徳川家とも縁が深い寺院です。

御手植の松の先、小方丈の横には、「二十五菩薩の庭」があります。
この庭は、知恩院が所有されている国宝「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」をもとにした構造になっているそう。配置されている石は阿弥陀如来と二十五菩薩を、植えこみは来迎雲を表わしているとか。

突きあたりの門の先には、徳川家康、秀忠、家光の霊を祀る「権現堂」があります。

正式名称は「権現様影堂」。たび重なる火災によって焼失し、現在の建物は昭和49年(1974年)に再建されたものです。

かたわらには、「東照宮 五重石灯籠」もありました。

次回は、方丈庭園から石畳をのぼった先にある建物や「千姫の墓」などを紹介します。
基本データ 名称:浄土宗総本山 知恩院 住所:京都市東山区林下町400 開閉門時間:午前5時半~午後4時 ※開門時間は季節によって異なる 庭園拝観料 友禅苑:大人300円/小人150円 方丈庭園:大人400円/小人200円 友禅苑・方丈庭園共通券:大人500円/小人250円 庭園拝観受付時間 友禅苑:午前9時~午後4時 方丈庭園:午前9時~午後3時50分 夜間特別拝観拝観料:大人800円/小人400円 夜間特別拝観時間:午後5時半~午後9時半 (午後9時受付終了) ※夜間特別拝観詳細は公式ホームページ参照 電話:075-531-2111 電話(法務部御廟係)※山亭写経確認先 :075-531-2112 |
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