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 「平安神宮」や「青蓮院門跡」のすぐ近くにある、「粟田神社」の紹介です。
 現在、境内では「宝物殿」の工事が進んでいたため、一部写真には数年前にものが含まれます。ご了承ください。

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 そもそも「粟田神社」がある辺りの「粟田口」は、三条通(旧東海道)の白川橋から東、蹴上付近までの広範囲に渡る地名で、京都と各地を結ぶ主要な出入り口だったそうです。
 「粟田神社」は、旧粟田口村の産土神であり、江戸時代までは「感神院新宮(かんじんいんしんぐう)」、さらには牛頭天王を祀ることから「粟田天王社」または「粟田八大王子社」と呼ばれることもあったようです。

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 「感神院」とは「感神院祇園社(現在の八坂神社)」のこと。
 平安時代、天皇の勅を受け、感神院祇園社に祈願した藤原興世が、満願の夜に枕元に立った老翁から「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王に縁ある地である。其処に我を祀れ」との神託を受け、この場所に社を建てたことが「粟田神社」の始まりだとされています。
 「粟田神社」と改称されたのは、明治に入ってからだとか。

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 三条通沿いの「一の鳥居」です。
 扁額は2012年に修理され、わずかに残っていた色をもとに紺と紅縁の彩色に直されたそうです。文字は、篤姫(天璋院)を養女とした近衛忠煕公の揮毫だとか。
 現在工事中の場所には、2011年に廃校となった白川小学校がありましたが、現在は東急ホテルズさんが「ミュージアム・ホテル」をコンセプトにしたホテルを建設中だとのこと。
 完成は2022年の夏になるということです。

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 片側が工事中の殺風景な参道を通り抜けると、「二の鳥居」が見えてきます。
 ここまで来ると落ち着いた雰囲気が戻ってきて、ちょっとひと息。
 こちらの扁額も一の鳥居に続いて修理彩色されてそう。旧社名の「感神院新宮」が記されており、一品尊祐親王御染筆と伝えられているそうです。

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 鳥居の先では、苔むした狛犬がお出迎えしてくれました。

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 二の鳥居の先には、緑に囲まれた長い坂道と階段が続いています。
 坂は車用、坂道の途中に2ヶ所駐車場(上の方は関係者専用)があり、また工事の車両などが一番上まであがったりと、時々車の往来がありますので、ご注意ください。

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 坂道の途中には、銅で作られた「御神馬」が飾られていました。明治の末頃に奉納されたそうです。
 神馬の表情や筋肉の躍動感、尻尾の動きはまるで生きているように感じました。これほど立派な御神馬もなかなかないように思います。

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 坂道を一番上までのぼりきると、本殿をはじめとして摂社や末社が立ち並んでいました。
 こちらは本殿、「須佐之男命(すさのおのみこと)」として知られている「建速素盞嗚尊(たけはやすさのおのみこと)」と、その子孫で国津神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」こと「大己貴命(おおなむちのみこと)」が主祭神として祀られており、厄除け・病除けの神と崇敬されています。
 主祭神の左座には「八大王子命(はちだいおうじのみこと)」、右座には「奇稲田比賣命(くしいなだひめのみこと)」「神大市比賣命(かむおおいちひめのみこと)」「佐須良比賣命(さすらひめのみこと)」が祀られています。

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 こちらは「拝殿」です。2009年に屋根が桧皮葺に吹き替えられたそうです。

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 「神楽殿」は、2018年に訪れた時の写真で紹介します。

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 この時、神楽殿には可愛らしい灯篭が並んでいました。

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 毎年10月に行われる粟田神社最大の祭礼行事「粟田祭」の神事のひとつ、体育の日前日の「夜渡り神事」で行列に加わる、「粟田大燈呂(あわただいとうろ)」の紹介がありました。
 長らく途絶えていた「風流灯籠(ふうりゅうどうろう)」を、京都造形芸術大学の協力を得て2008年に復興させたそうです。
 この「粟田祭」は1000年の歴史を持ち、室町時代、祇園祭が齋行できなかった時には、「粟田祭」をもって代わりとしたと伝えられているそうです。

 次回は、粟田神社の摂社や末社、中でも某刀剣ゲームの関係で参拝者が増えているという末社の「鍛冶神社」を紹介します。


 基本データ
 名称:粟田神社
 住所:京都市東山区粟田口鍛冶町1
 参拝時間:境内自由
 授与所:午前8時半~午後5時まで
 拝観料:無料
 電話: 075-551-3154