本能寺 京都の街中にある、織田信長公の御廟所

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 京都市の中心部に位置する、寺町通のアーケード沿いにある「本能寺」の紹介です。

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 本能寺といえば、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」。日本歴史上誰もが知っている出来事ですが、実は焼き討ちにあった時は別の場所にありました。
 その場所は、現在の京都市中京区元本能寺南町、烏丸通と堀川通の間にある油小路通沿いです。現在は「本能寺跡」の石碑だけが残されています。

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 豊臣秀吉によって現在の場所に移転させられた当初は、現在の御池通や京都市役所を含む広大な敷地があったそうですが、江戸時代末期の「禁門の変(蛤御門の変)」に伴い発生したどんどん焼けにより、その時の堂宇は焼失したとのこと。
 現在の境内はそれほど広くはなく、本堂は昭和に入ってから再建されたものです。
 なお、写真の地図にある、河原町通に面している「河原町門」は工事中のため閉鎖されていました。

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 寺町通のアーケード沿いにある「表門」です。

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 表門に向かってすぐ右手には、日蓮上人の像がありました。
 像の足元には「立正安国」と刻まれており、「正を立て国を安んず」と読みます。
 日蓮上人が執筆し、時の最高権力者 北条時頼に提出した文書を「立正安国論」といい、当時相次いでいた災害の原因は、人々が正法である法華経を信じずに他の邪法を信じていることにあると非難し、「正法である法華経を中心とすれば国家も国民も安泰となる」と説いたものです。
 これをきっかけに日蓮襲撃事件が発生し、さらには鎌倉幕府を批判したとみなされた日蓮は、翌年伊豆に配流されました。

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 表門のすぐ近くにあるのが、こちらの「大賓殿宝物館」です。
 6月2日まで「本能寺と信長」展が行われており、現在こちらには、本能寺の変の前夜に突然鳴きだしたという伝説がある「香炉 三足の蛙」や、織田信長が寄進したという「麒麟の香炉」が展示されているそうです。

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 昭和に入ってから再建された「本堂」です。七間七面単層入母屋造本瓦葺きの総けやき材で、創立当時の面影を残しています。
 提灯の紋は、本能寺の紋である「丸結雁金紋」です。

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 本堂の手前には、加藤清正寄進と伝えられている「臥牛石(がぎゅうせき)」がありました。
 確かに、言われてみれば、牛が地面に伏せているように見えてくるから不思議です。

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 本堂右手奥に進むと「信長公廟」があります。

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 この信長の墓は、三男信孝が「本能寺の変」から約一ヵ月後に本能寺を父信長の墓所と定めて、建立したものだということです。
 中には、信長が所持していた、太刀が納められているとか。

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 「信長公廟」のすぐ左隣には、「本能寺ノ変戦没者合祀墓」がありました。
 信長の隣に、共に命を落とした家臣が眠っているということですね。

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 「信長公廟」の右には、目をひく大きなイチョウの木があります。
 2004年に京都市指定保存樹となった「火伏のイチョウ」です。
 この名前は、江戸時代に起こった「天明の大火」の時の出来事に由来するそうです。
 「天明の大火」では、御所や二条城をはじめ、当時の京都市街の8割以上が焼失したとのこと。その最中、このイチョウから水が噴き出したため、近くにあった本能寺の塔頭のひとつ「龍雲院」の門と建物の一部は延焼を免れたと言われています。

 京都の繁華街である河原町からほど近い寺町通沿いにある本能寺さん、河原町通や四条通を散策がてら、少し足を伸ばして立ち寄ってみてはいかがでしょうか。


 基本データ
 名称:法華宗大本山 本能寺
 住所:京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
 拝観時間:午前6時~午後8時
 拝観料:無料
 大寶殿宝物館開館時間:午前9時~午後5時
           (入館午後4時半まで)
 大寶殿宝物館入館料
  :一般500円/中高生300円/小学生250円
   ※特別展開催期間中は料金が異なる
 電話:075-231-5335

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posted by ウィロー at 11:00 Comment(0)寺社・仏閣日記    

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